"不思議な岩石、絶壁には数十年超える松が植わわり不思議な形をしている" 太宗台
新羅時代の太宗武烈王が三国を統一し、ここで弓を射て楽しんでいたことから由来している。一方、朝鮮時代第3大王の太宗もこの場所で遊覧していたと伝えられており、朝鮮時代には東来府使がこの場所で干ばつの雨乞いの祭りを行っていたという。
ここでは、鬱蒼とした常緑樹林や奇岩絶壁にぶつかる大きな波の音とともに、海岸行楽地として有名な場所である。
太宗台の入口に殉職船員慰霊塔や医療支援団参戦記念碑などがあり、多くの観光客への見どころがある。循環道路の中間に太宗寺があり、灯台や望夫石(妻が夫の帰りを待あぐんだあげく, 死んで化したといわれる石)の先には展望台がつくられていて、天気のいい日には遠くの大馬島まで見渡すことができる。
特に、ここに設置された母子像は展望台で自殺を図ろうとする人たちにもう一度思いとどまってもらえるようにつくられたもので、次第に自殺者数が減少しているそうである。
ジャガルマダン(砂の庭)には遊覧船の船着場があり、あふれる自然の壮観が広がり、一度来たら忘れられない場所としても有名である。
"新石器時代の生活や文化研究の重要資料となる" 東三洞貝塚
韓半島の最南端に位置する貝塚で、南海岸一帯では最も規模が大きい。
また文化層が重なっていることから韓国の新石器文化研究にはとても重要な遺跡であり、そのため以前から国内・海外の学者から多くの関心を持たれ続けてきた場所である。
日本帝国時代には、日本の学者により部分的に発掘されており、1963年にはアメリカの学者が発掘を試みたこともあり、その後国立中央博物館により1969年から1971年まで全面的に発掘事業が行われた。
最近(1991年)には 貝塚環境整備のため東三洞750-5, 750-6番地一帯を収集・発掘した結果、幼児用甕棺墓と推定される墳墓が出土した。
主要遺物として、隆起線文土器、櫛文土器、 丹塗磨研土器など、土器類や結合式釣針、 砥石、石刀、 剝片尖頭器、石槍、刃部磨製石斧、骨針、磨製石斧、打製石斧などの石器および骨角器類があり、特に貝類や魚、動物などの自然遺物が多く出土して、当時の経済活動や自然環境を復元するのに重要な資料となっている。
この遺跡が韓国南海岸地方の新石器のほぼ全期間にかけて形成されているため、この地域の新石器文化内容すべてが含まれているといえる。
また、この遺跡地から出土された日本の縄文土器や日本産黒曜石製石器を通じて、日本との交流があったことも知ることができる。
この遺物は、海を通じて遠隔地との交流やその当時の文化交流活動などを知るのによい証拠となっている。
東三洞貝塚は、南海岸地方の新石器文化内容や相互交流関係をよく知ることのできる重要な遺跡地である。