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未来の海洋新都市、発展する都市 - 影島


口伝地名及び説話

鶴脈説の説話

影島は、風水地理説によれば鶴脈説と言います。 先史時代から影島は山林が鬱蒼とし草木が茂って牧場として適していましたし、樹木が青々としてチォングハク(青鶴)と言う名前が伝わり、今日の青鶴洞という洞名もそれに由来したものとみられます。 統計学的な風水説によれば、海雲台から影島を眺めてみると、まるで鶴が南に飛ぶ形を成しているといわれます。 先史時代には東三洞と今の海洋大学があるアーチ島が陸地で繋がっていたし、アーチ島は鶴の左の羽であり、今の神仙洞を経て南西の方の南港洞が、右の羽で、蓬莱山山頂は鶴の巣で、鶴が南に飛ぶ形と同じだとして鶴脈説によって見ています。

壮士岩

壮士岩
蓬莱山のアリラン峠を越えれば壮士岩があります。昔、背が9尺で世にもまれな力持ちであった巨人が影島の深い山奥に住んでいました。この巨人は毎日村に下りてきて、ご飯を貰い食べていましたが一回に米一斗を軽く全部食べました。村で遠慮無しにご飯を貰い、食べた巨人は、住民たちにお返しができなくて申し訳なく思っていました。 ある日、巨人が村で夕飯を貰い食べる頃に、形はなく大きな影だけがある化け物が現われて村の娘を捕えて連れて行くという騷動が起こりました。巨人はおかしな影と闘ったあげく、影を抱き込んで死んでしまいました。 住民たちは、巨人の死体を運び蓬莱山の麓の日当たりのいい所に埋めました。その後、巨人の墓が大きい岩に変わったのが、この岩の模様で、まるで壮士の履き物みたいなので今日、この岩を壮士岩と呼んでいます。

アリラン峠

今のユハン旅客バス終点から青鶴洞に越えて行く途中をアリラン峠と言います。影島に車道ができる前は、東三洞と神仙洞を繋ぐ唯一の道でした。昔この峠は、山林が鬱蒼として険しいうえ道さえ曲がりくねっていて泣きながら越えてゆく、アリラン峠と言われます。当時、東三洞沖合でたくさん捕まえた魚を頭に載せて女の人たちが盗賊たちの多かったこの峠を通って、釜山市場(現在の釜山鎮市場)まで歩いて行って売らなければならなかったという辛い話が伝えられています。

ジョネギさつまいも

ジョネギさつまいもは昔の影島の特産物と言えます。 青鶴洞、東三洞一帯の黄土畑で栽培し、赤い色を帯びてとても小さなこのさつまいもの味は、よく煮えた栗の味に比べられるほどです。日帝時代、モクド(牧島)のさつまいもとして有名で、日本人たちはこのさつまいもを求めるために影島に集まったといいます。